こんにちは。禅聴者冨ヶ原です。
5カ月振りのブログとなってしまいました。
前回の投稿で書籍出版について書きましたが、その原稿作成や校正などでブログから遠のいてしまっていました。
書籍出版は現在最終調整に入っています。12月中には出版できると思います。
さて、本日は「肩書」について書こうと思います。
今や様々な業種業界があり、その肩書も法律でや協会などによって決められた肩書以外に、今まで以上に自由で
様々な形があります。
そういった自由な肩書は面白いと思いますし、今までなかった肩書でも、もしかしたら将来メジャーになるかも
しれないですよね。
ただ、最近その肩書について度々同じような意見を耳にし、気になることがありました。
「○○という肩書を名乗っているんだったら△△でなければならない。肩書だけ立派で、全くダメ。」と、利害
関係のない全くの他人が言っていたことです。
こうでくなければならないという固定観念に少々疑問を持ちました。
何十年もその肩書で仕事をされているというのならまだしも、その肩書を背負って始めたばかりの人に
そんな肩書なのに全然話にならないとか、尊敬できないとか、もっとこうあるべきだとか、そういった意見を
利害関係のない人が言っている場面に違和感を持ちました。
確かに、その肩書からイメージする人物像や求められる能力というのはあります。
社会は厳しいです。始めたばかりだからと言っても、名乗っている以上、ある程度の水準までは求められる
でしょう。
しかし、一方でその肩書を名乗ったから誰にでも価値を同じように提供できるということではないはずです。
誰かにとっては価値と感じなかったとしても、その人を信頼して依頼している人にとっては価値を感じている訳です。
ですから、利害関係のない人のそういった意見は、その人を信頼して依頼している人に対し失礼な事なのです。
そして、その肩書に見合うように当事者も日々学び成長しようと頑張っているのだと思います。
例えば、起業し社長という肩書を背負ったとします。その時点で、その人はパーフェクトな社長なのでしょうか。
私はそうは思いません。社長としての責務を果たすために、失敗を繰り返しながら日々学び成長し真の社長となって
いくのでしょう。
社長としてパーフェクトならすでに、社長の座にいることはありません。なぜなら、社長より上の立場にいるはずです。
企業でも似た話があります。
部下の方は、「店長なのに・・・」と、そういう視点で上司を見ていることがあります。
店長は店長の仕事を学ぶために店長になったので、店長としてパーフェクトではないのです。
店長としてパーフェクトなら、その上の役職にいるはずです。ですから、「店長なのに」というのは違います。
そのように伝えることがあります。
もちろん、それぞれの考え方や価値観があります。でずから、冒頭で書いたような「○○という肩書を名乗っているんだったら△△でなければならない。肩書だけ立派で、全くダメ。」と言っている方の考え方を否定する訳ではありません。
直接利害関係があるのなら理解できます。
しかし、利害関係がないのなら、一方でこういった視点もあるということも知っていると、本当の所はどうあれ、無駄にイライラしたり人を傷つけたりしなくて済むと思います。
思考を広く、視野を広く。ですね。
#禅聴者 #思考 #視野 #考え方 #捉え方 #経営 #ビジネス